3月1日より新たな職場で働くことになりました。
このコロナ禍で果たして就職できるのか心配でしたが、無事就職できました。
これで一つまた肩の荷が降りました。
3月1日より新たな職場で働くことになりました。
このコロナ禍で果たして就職できるのか心配でしたが、無事就職できました。
これで一つまた肩の荷が降りました。
9月いっぱいで5年半にわたってお世話になった会社を辞めることになりました。
不満もあったけど、今まで働いた会社の中では一番大きな会社だったので、福利厚生もしっかりしていたし、できればもう少し働きたかったのが本音ではあります。
しかし、業務の規模も縮小されるし業務体系も変わってしまうから、設計者は必要なくなりますし仕方ありません。
今までお世話になりました。
しばらくは時間に余裕ができますので、今までできなかったことをこなして有意義に過ごしたいと思います。

今年の初め頃から植物状態になっていた父親が、昨日の午後18時45分ごろ亡くなりました。
丁度80歳でした。
兄から連絡がありました。
ボクは見届けることはできませんでしたが、これでいいのです。
奇しくも、祖母と同じ歳でした。
( 令和2年8月15日 )
今日、早いもので結婚してから2年が経ちました。
たまに 「 もう離婚だ ! 」 とか言いあっていますが・・・。 時折蹴られましたし・・・。
国際結婚をしている多くのカップルが離婚しているなかで生き残ることができています。
問題もない訳ではありませんが、うれしいことです。
それに大なり小なり どの家庭も問題は抱えているものだと思いますし。
後日、ささやかながらお祝いをしたいと思っています。
母が 「 慢性肺高血圧症 」 になり、慶応大学病院で一命を取りとめて何回目かの春。
母が再びカテーテルによる治療をしなければならない時期になりました。
今回は、とりあえず治療の日取りを決めるために母を慶応大学病院に連れて行きました。
長い連休明けの月曜日、仕事を終えた後に出かけることになりました。
自宅を出たのは午前2時でした。多分片道8時間はかかると予想されます。
宮城県北から、福島県、茨城県を抜けてようやく首都高に入りました。
一年ぶりの首都高の運転でした。途中、分岐点を間違えてしまいました。ボクはあいにくナビは持っていません。携帯もスマートフォンではありません。
一体どうしたらいいでしょうか? 慣れない東京の道です。
でも、標識を確認しながら銀座方面に進んでいくと今までとは別なルートではありましたが、 まぐれで慶応大学病院のある 「 外苑 」 に着くことができました。
ホントに胸をなで下ろす瞬間となりました。
病院では、母は一通り一般的な検査を受け、2時に問診の予定です。
だからボクは車の中で寝ていました。
お昼ご飯は近くのラーメン屋で食べることにしました。
日高屋は以前ボクが住んでいた東京の下町にもあって よく食べに行きました。とても懐かしい想いがこみ上げてきました。
安くておいしいのです。
昔、良く食べたのは何だったっけ? 思い出せません・・・。
多分、五目あんかけラーメンだったかな? 五目あんかけラーメンを注文しました。
しかし残念、昔食べたものと違いました。だとすると多分、とんこつラーメンしかありません。次回はとんこつラーメンを食べます。
そんな風に時間を過ごしていたら母が戻ってきました。
治療は7月に決まりました。
カテーテルによる治療は、死の危険もある治療です。痛みもかなりのものだといつも話しています。
でも、今の母の命があるのはこのカテーテル治療があってのことなのです。日本では慶応大学病院くらいでしか受けられない高度な治療です。いえ、世界でもこの病院くらいと言えます。なぜなら海外では死亡率のかなり高い治療方法だからです。しかし、慶応大学病院での失敗例はないと聞きます。母の主治医は比較的若い先生なのですが、高度な技術の持ち主なのです。でも人によっては治療を断られる場合もあります。
どうか、今回も無事に終わってくれますように。
ボクも40を過ぎてしばらく経ちました。
歳のせいか、縁側に座りでもすると 最近はよく昔の思い出が蘇ってきます。
とりわけ、一緒にいる時間が長い母との思い出が多いです。母にもずっと元気でいてほしいと願っていますが、もうずく80歳になろうとしています。
祖母が80歳で亡くなったことを考えると、とても居たたまれない気持ちになります。
それに母には持病もあります。
8年前に原発事故で故郷を追われ、ようやく自分の家を持ちある程度の平穏な生活を送れるようになったものの、やはりまだ以前のような生活には戻ることはできずにいます。
母とはこの8年間ずっと一緒に避難生活をし、必死に生きてきました。
ふと、思い出したのは避難直後に栃木県で泊まった温泉旅館です。あの時はホントに必死でした。
折角の温泉も十分には楽しむことができませんでした。いつか、またあの温泉に母を連れて行ってあげたいと思うこの頃です。
今の幸せはいつ崩れるかわかりません。人の人生とはそのようなものだと思います。だから一日一日を大事に生きていかなければいれないのだと思います。
平凡な日々こそ幸せなのです。それは震災で得た一番の教訓でした。
最近は宮城県北もだいぶ暖かい日が続いています。
今年は雪も少なく助かりました。
妻と子供の気晴らしの為に近くの公園に散歩に出かけることにしました。
近くと言っても車がないと行けない距離です・・・
田舎の公園ですが、むこうの方では子供たちがサッカーをして遊んでいました。
ボクたちは、すぐに飽きてしまったので今度は近くの街までぶらっと出かけました。
そのころは街も賑わっていたのです。
なぜ廃線にしてしまったのか・・・
とても惜しまれます。
まだまだ山には雪が残っています。この自然を愛して移住してくる人も徐々にではありますが増えているそうです。
数年前にはある陶芸家も移住してきたそうです。