生きるということ

今まで自分の歩みを振り返ってみると、ホントに楽しいと感じたのは高校の時の3年間くらいです。

その前はずっとアル中の父親の虐待がありました。

そして学校でもボクは運動音痴でしたのでいじめの対象になりがちでした。

それでも学生時代は目標に向かって進む強さと希望がありました。
個人的な能力の限界はあったとしても努力すれば学力はある程度上がります。

でも学生時代が終ってから知ったことがあります。

それは自分の努力だけではどうしょうもないこともあるのだと。
特に人と人の関係は難しいです。

上司の関係などうまくいかない事がほとんどです。

高校生の時は努力すれば必ず報われるのだ、人にはいろいろな可能性があるのだと意気込んでいましたが、どんなにがんばっても個人の能力の限界があることも知りました。

結婚であったとしても相手の気持ちがあることなので自分一人の努力ではどうにもならないと知りました。
結局、魅力に欠ける自分が悪いのだと。

そして今回の原発事故。
賠償金が入ったとしても飼っていた生き物の命は返ってきません。
強制的に自宅を追われました。
今まで2年間の人生を奪われたと感じています。

挫折の連続です。
何ひとつとってもうまくいきません。

ボクはそんなに強くありません。
今まで挫折すればするほど、目標に向かって努力する意欲を失ってしまったと感じます。
何の目標もなく、なんとなく惰性で生きて。
きっと強い人だったら「転んでもただでは起きない」ということわざのように強く生きていけるのだと思います。

小学校の時も社会人になってからも、何度か本当に死んでしまおうと感じたこともありましたが実際はその勇気さえもなかったような人です。

幸せな人生って何でしょうか?

たくさんの資産を得ることでしょうか?権力を得ることでしょうか?有名になることでしょうか?

普通の生活とは何でしょうか?

高校生の時友達に「猫之介は絶対平凡な人生を送るな」と言われたことがあります。
その時は何も言い返しはしませんでしたが、いい気はしませんでした。

でも、ボクが気づいたのは本当の幸せとは普通の生活を送ることだということです。
平凡な穏やかな生活こそ幸せなのだと。

でもその平凡な人生を送ることが実は人にとって大変なことなのだと。

財産なんてそんなになくてもいいからある程度の収入があって、できたら小さくてもいいから家があって。
結婚して子供もいて、たまに家族で旅行に行って、おいしいものを食べて、年老いたらのんびり過ごして。
そんな平凡な生活が本当は幸せなのだと気づきました。

今の自分はとてもそこにすら到達できていません。平凡な人生にすら達していません。
子供の時ですら、父親がアル中だったので父、母、兄、ボクとの家族4人で出かけた記憶は全くありません。

生きるということは簡単なことではありません。

ある人は自分のこれまでを振り返って自分は何も成し遂げてこなかったと思うかもしれません。
でも、その人が成し遂げている一番のことはさまざまな困難を乗り越えて生き続けているという事実なのだと思います。
でから決して自分が何も成し遂げていないと感じる必要もないのだと思います。
生きているその事が誇りなんだと思います。

今の若い人は命を軽視しすぎています。
人を簡単に刺してしまったり。
自らの命を絶つということはそれは自分の命を軽んじていることにほかなりません。

でも命とはそんなに軽いものではありません。
確かに生き続けるというのはある人にとっては楽なことではありません。

でも自分は最後まで自分の人生を全うすること。
それが自分に与えられた人生最大の仕事で、人生で成し遂げられる最大の事だと思っています。
だからボクは何があっても命続く限りはその目標に向かって最後までがんばろうと思っています。

たとえ自分の命を全うするとき人並みの幸せを得ていないとしても、生き続けたというその事を誇りにしたいと思います。

猫之介

投稿者: 猫之介

富岡町の住人です。原発事故により避難生活を余儀なくされています。かつての愛猫のしま次郎を探しています。どうか無事でいますように・・・

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