自動車整備工場

20代半ばのころでした。

車好きが高じて、山の方にある自動車整備工場で働くことになりました。
従業員数は6人程度の小さな工場でした。整備員がボクを入れて4人、社長、事務員。
2年ほど働いていたでしょうか?

整備員の中に50歳くらいの方がいてその方の下で教えてもらいながら働くことになりました。
その方は整備士の免許はないものの整備歴30年以上のベテランでした。
農業も兼業していました。3丁の田んぼを作っていると言っていました。
猟師としての免許も持っていたので猟もしていました。

山の中の整備工場、自然環境は最高でした。

夏は山の方から入道雲がもくもくとやってきて、急に雷雨になったり。
秋は秋で紅葉がすばらしかったです。
でも、冬は雪が多くて通勤が大変でした。降るときで30センチは積もりました。朝と晩は、ほぼ毎日のように路面は凍りつきました。

山の中ですので山に囲まれていて、あたりは静かでなんとも心落ち着く場所でした。

納車のときなど車を運転しているとそんな自然環境にとても癒されました。

工場ですから空調設備などありません。
夏はとても暑く、冬は寒いです。盆地ということもあり温度差は半端ありませんでした。

水道管には凍結防止用のヒーターが取り付けてありました。

上司からはとてもかわいがってもらいました。
今でもたまに顔を出します。

2つある工場のうち、古いけど大きい方の工場でその方と主にトラックなどの整備をしていました。

機械いじりは割とすきです。
上司の教え方もとても親切でわかりやすかったので1年も経つとだいぶ仕事も覚えていきました。

ボクは車検や簡単な整備などを行っていました。
ブレーキの整備もやっていました。
ただ、エンジン関係とミッション関係は自分の技術では無理でした。

自動車整備って思っていた以上に大変でした。
相手が車というだけで内容は鉄工場にも通じるものがありました。

バールでドライブシャフトを外したりと。
毎日、毎日がとても楽しかったです。

週末はたまに工場を借りて自分の車の改造などしました。

仕事には波があり、たいして忙しくない時もありました。

そういう時は上司は仕事時間中ではありましたが、自分の家に連れて行ってくれてお茶を出してくれました。
ちょっとの時間ですが猟にも連れて行ってもらいました。

お昼は自分の家で作った漬物などを分けてくれました。
自分が狩ったイノシシ汁をごちそうしてもくれました。

イノシシは臭いといいますが、あのとき食べさせてもらったイノシシは全く臭みなどありませんでした。

でも、そんな自動車整備の仕事も不満がなかったわけではなかったのです。

通勤が大変でしたし、給料もとても安かったです。

通勤は峠をこえないといけなかったので特に冬場はかなりの危険が伴いました。
片道40分はかかりました。
都会では1時間の通勤も普通ですが、自分で車を運転しての通勤は1時間は結構遠く感じます。

そのころもまだ自分は朝少しだけでしたが新聞配達のバイトもしていたので、それでようやく生活していました。
丁度、母親も父親のことがあり東京から引っ越してきていましたので生活費は結構家にいれていました。

それに大型車の運転がどうも無理でした。
構内で動かすので免許はいりませんが、どうも怖くて無理でした。
下回りの洗車の際はスロープに車を上げます、特にそれが車を落としてしまわないだろうかと恐怖でした。
誰かに手伝ってもらわないとダメでした。
他の整備工場ではかつて実際にスロープから大型車を落としたことがあったと聞きました。

やっぱり自分には向いてないのかな?と感じていました。
プロだったらすべてできないといけません。
それに歳をとると手が動かなくなっていくと聞き、生涯の仕事としては無理なのだろうかという考えもありました。

しばらくそんな疑問も抱えながらも楽しく働いていました。

上司の奥さんはしばらく前に乳がんの手術をしたそうです。
何度かお会いしましたが、見た感じは元気そうでした。

ところが、ある日亡くなったと聞きました。
びっくりもしました。50歳そこそこではなかったのではないでしょうか?

葬式にも参列しましたが、とても気の毒でした。

退職するきっかけは社長とのケンカでした。

お客さんがいらないという事で工場にランサーGSRを置いていきました。
10万キロ以上乗ってはいましたが、まだ乗れます。
それでボクの通勤にと数十万で工場から譲ってもらいました。

悪いところは直してくれるという事でしたが、故障ばかり。

ある日、クラッチが全く効かなくなりました。
ギヤチェンジができないのです。

当時のボクの技術力では直せませんでした。

それで社長に直してほしいと言ったところ、ダメだということでした。

決して安い買い物でもなかったので一般の客であれば直していたのではないでしょうか?
「約束が違うのではないですか?」少し高い声で抗議しました。

だもダメだということでした。
ランサーなどのFFベースの4WDターボは整備の一番難しい部類で、ミッションは工場でもできたら修理したくないというのが本音ではあったようでした。

「では、せめてディーラーに運んでください!」と言ったところ、「明日から来るな!」と怒鳴られました。
「わかりました、明日から来ません!」

それっきりでした。

後で知ったのですが、整備工場という手前、自分たちで整備しないでディーラーにもっていくのが嫌だったようです。
自分たちでできないから持ってきたのだろうと笑いものになるという事でした。

そのあと山道をずっと1速か2速かに固定されたままで走っていきました。
ボクもはっきりいって命がけの帰途になりました。

後日、上司にあいさつに行きました。
社長も随分反省しているということでしたが、やはり辞めてしまいました。

つい先日その上司のところに行ってきました。
仕事中に骨折してしまい、それが原因で今は仕事を退職したそうです。
歳も60歳を過ぎたからということでした。

今は孫もできて農作業などやっているそうです。

猫之介

投稿者: 猫之介

富岡町の住人です。原発事故により避難生活を余儀なくされています。かつての愛猫のしま次郎を探しています。どうか無事でいますように・・・

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