先の見えない不安

今市青少年スポーツセンターではとてもいい待遇を受けました。

朝には毎日ミーティングがありました。
そこでは所長さんのあいさつや、避難物資の連絡などがなされました。

そのあと階ごとに集まって被災者どうしの話し合いがなされました。
どこのスタンドがやっていたとか、年寄りが多いから子供は夜は静かにして欲しいなどの要望がなされることもありました。

1階には新聞やテレビもあり情報収集ができました。
しばらくするとパソコンと電話も設置されました。自由に使用することができました。
新聞もいただくことができるようになりました。

地域のみなさんやボランティアの皆さんからはいろいろな支援を受けました。

勿論古着ではありますが、衣類。それからミネラルウォーター、カップラーメン、日用品。
本当にいろいろなものをいただきました。
原発被災者はほとんどが着の身着のままで避難してきました。だから古着でもどれだけ助けられたか。
まして食料品は大変貴重な物でした。

地元の温泉からの招待もありました。
ボクも1度だけ行ってみました。ただ、あのような時だから正直温泉に行っても気分的にはのんびりはできませんでした。それ以上の先の見えない不安がありました。
東照宮などの観光も計画されましたがボクはなんだか行く気力もありませんでした。

2,3週間するとガソリンスタンドの営業も始まりました。
それからは母と近くのショッピングモールに行ったり、本屋に行ったりしました。
本を読んだり、お菓子を食べたりできる事がどれだけうれしかったことか。

栃木県は東京に近いから立ち直りも比較的早かったのだと思います。

しばらくすると県や東電の人も来て現状の説明などがなれさるようになりました。
ただ自分はもう東電社員の顔すら見たくなかったので行きませんでしたが。

よくものこのこと来やがったなというのが本音でした。

今考えれば説明に来なければそれはそれで問題だったなと思います。
説明に来て、まぁ当然のことでした。

季節はすでに春。サクラも咲き、そして散っていきました。
寒い冬も去り、本当だったら1年で一番何というかウキウキする季節ですね。
当時の自分は当然とてもそんな気分ではありませんでした。

そうこうするうちに約1ヶ月が経ちました。

毎日先の見えない不安に襲われました。
いったいこれから先、自分たちはどうなるのだろう?
ねこは?仕事は?家の事は?

気を紛らわすために雑誌を読んだり、昼寝をしたりしていました。

そうした時、被災者が温泉施設に移り始めたという情報を耳にしました。

町だったか県だったか国だったか忘れてしまいましたが、とにかく旅館ないしホテルに1人当たり月15万ほど支払うことによって食事と住むところを提供するということでした。

福島県民の多くは飯坂温泉に移って行ったようでした。

テレビでその状況を目にしました。
とてもおいしそうなご馳走が提供されていて、被災者達は一時の安寧をえている様子でした。
「同じ福島県民だから、困ったときはお互い様。赤字覚悟でおいしいものを提供しています」と話していた女将さんもいました。

あー、いいなーと思いました。
ホントのところは、当時は温泉宿も風評被害により宿泊客が減っていたので、被災者を泊めれば従業員を遊ばせておくこともなくなるので喜んでいたようでした。
持ちつ持たれつだったのですね。

スポーツセンターでもとてもよくしていただいていましたが、ボクも早く温泉に移りたいと心の底では考えました。

そしてボク達も鬼怒川温泉に移ることになりました。

あえてホテル名は記しません。

そこで自分たち被災者は正直言って不満の残る待遇を受けることになりました。

つづく

猫之介

投稿者: 猫之介

富岡町の住人です。原発事故により避難生活を余儀なくされています。かつての愛猫のしま次郎を探しています。どうか無事でいますように・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です