避難所に向かって

次の日の朝早く母親に起こされました。6時前だったような気がします。

「町の防災無線で原発事故のため川内村に避難するようにいっているから早く非難しない」とと慌てていました。

あの日の事は昨日の事のように思い出されます。

ただあまり思い出したくありません。激しい後悔の気持ちが湧き起ってきます。そして言いようのない怒りと悲しみと・・・

こんな記録をつけていてもつい涙が出てしまいます。

そんな風に言われても、なんだか起きている事が現実の事とはとても思えませんでした。それにその時は事の重大さも気づきませんでした。

なんでも川内村に 「一時的」 に避難するためにバスが出るそうです。

でも自分はあまり大人数で行動するのが好きではなかったので母のぽんこつ軽自動車で行く事にしました。

どうせ ぽんこつだから道が悪くて傷がついても痛ましくないですから。

「自分の車で避難しても誰も文句は言わないから」って。

正直言うと近所の人たちはなんか苦手でした。

貴重品となんでそう思いついたのかは思い出せませんが、飼っている5匹のねこのうちの1匹(アメショーさん)を連れて行くことにしました。とっさの判断でした。

あとのねこ4匹となごやこーちん(鶏のトットコさん)は、連れて行く事など全く思いつきませんでした。

この瞬間がねこ達の命運を分ける事になろうとは思ってもみませんでした。

そしてこの事が原因で母は苦しみ、自分も罪悪感に悩まされる事になっていきました。

(2012.9.20現在。そのうち2匹は行方不明で、1匹はボランティアさんに救助されましたがまもなく死んでしまいました。1匹はめっきり弱ってしまいましたが生きています。)

自分は割とのんきな人なので気楽に考えていました。

「別に急がないから、とりあえずいわきに行ってガソリンを入れて、何か食べ物も買っていこうよ」と提案しました。

いわきに行ってみると、ガソリンスタンドは想像以上に混んでいてびっくりしました。

いわきはそんなに地震の影響などないだろうと思っていたからでした。

何件か売れ切れのお店もありましたが、まだやっているお店はありました。

給油量は一人20リットル限定ではありましたが、軽自動車はそれでほぼ満タンになりました。

少し走って大きなスーパーで買い物をする事にしました。

買い物を終えた母の話では残っているものはパンなどしかなかったという事でした。あと少しのお菓子は買う事ができました。

いわきから川内村に行くには山道を通った方が早いため、道を聞くために少し道を戻って警察署に寄りました。

しかし山道は土砂崩れで埋まってしまって通れないという事でした。

仕方なく来た道を戻るといわき方面に向かう車で対向車線は渋滞していました。なんでだろ?と思いましたが深く考えずに自分たちは富岡町に向かいました。

上手岡付近で、もう一度家の様子を見るのに帰ろうかとも思いましたが母が乗り気ではなかったのでそのまま川内村に行く事にしました。

しかしまたもや川内街道も途中がけ崩れがあったようで封鎖されていました。入り口には数台のパトカーが待機していて道をふさいでいました。

あとは288号線を通っていくしか方法はありませんでした。

288号線に入るとなんだか凄まじい渋滞になっていました。

途中ガソリンがなくなってしまったのか乗り捨ててある車もありましたし、ほかの車に乗り移っている人もいました。

川内村に近づくと警察が誘導していて、川内村は避難者でもう一杯だという事でした。

いったいどこに行けばいいというのでしょうか?

とりあえず警察も誘導していたのでさらに288号線を奥に進みました。

尋ねたところ大越体育館が空いているという事でしたので、そこに向かう事にしました。

そこは自分たちの1ヶ所目の避難場所になりました。

そこでテレビを見てわずかながらも大切な情報を得ることができました。

あのような大惨事の中だったから誰のことも責められません。それでも人のいろいろな みにくい面をみる事になりました。一方でおおきな優しさも。

つづく・・・

猫之介

投稿者: 猫之介

富岡町の住人です。原発事故により避難生活を余儀なくされています。かつての愛猫のしま次郎を探しています。どうか無事でいますように・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です