大越体育館

あれはまだ雪の残る寒い頃でした。

自分と母親は原発事故発生の翌日の夜、避難所を探していろいろなところをさまよいながら、ようやくとりあえずの避難所として大越体育館に置いていただける事になりました。

確かすでに200人ほどが避難していたでしょうか?

もうそこも一杯になりつつありました。

しばらくして来た家族はもう限界だという事で避難させてもらう事ができませんでした。

大型バスでどこかの町の住民も来ました。なんとか置いてほしいと頼んでいましたがやはり答えは同じでした。

入ると体育館の床に毛布が敷かれていて、みんなその上に布団を敷いて寝ていました。

各自数枚の布団や毛布や防寒着をお借りできました。

そして数か所に大きな温風ヒーターが置かれていて暖もとる事ができました。

みんな割と落ち着いていていました。

あの時はほとんどの人が数日我慢すれば家に帰れるだろうと予想していた事もあると思います。

食事はおにぎり、パンや牛乳、水などが支給されました。それらは主に災害対策本部(?)が用意したものだったと思います。

地元の方が準備してくれたものもありました。インスタントコーヒーや果汁100パーセントジュースもわずかでしたがあり僕もいただく事ができました。

なによりも嬉しかったのはやはり地元の方が用意してくれた豚汁です。

暖かいものが食べられるというのはとてもうれしい事でした。

ある日、まぜご飯のおにぎりも提供されました。

でも食べてみると糸が引きました。

においも少しおかしくて、もう鮮度が落ちていたのですね。

少し口にしてしまいましたが、すぐに気づきましたのでおなかをこわす事もありませんでした。

贅沢は言える立場ではありませんでしたし、いただけるだけで感謝しないといけないのですが、災害対策本部が用意したものよりも地元の方からの援助の方が心がこもっていたような気がします。

すこし残念だったのは一部のお年寄りですが、ご飯が支給される時に いかにも我先にと人ごみをかき分けてもらっていた人がいた事でした。

1人分の数も決まっているのに必要以上に持っていく人もいました。

あのような時だから仕方ないのでしょうけど、そんな姿を見てとても残念に思ってしまいました。そして自分は絶対にあーいう風にはならないと固く決意しました。

きっと人間というものは大変な時や追い込まれた時に本当の自分を出してしまうのでしょうね。

でも大抵の人はきちんとマナーよく順番を待って並んでいました。

それに数人の人はだいぶ汚れつつあるトイレ掃除などもしてくれていました。

数日経つと着ているものも気になってきます。

大越体育館は水も出ましたので、特に女性はトイレの流しで石鹸を使って洗濯をしていました。

ですので温風ヒーターの前は物干し場の様子を呈していました。

コンセントも何ヶ所かありました。

携帯電話の充電器を持っている人はそこに挿して充電などしていました。

ただ、注意もされましたが特に若い人が独占して使ってしまっていたようです。

でもきっとあそこは他の体育館などよりはずいぶん快適に過ごさせてもらえたと思います。

ボクは何もしたくなかったのでひたすら寝ていました。

ストレスを紛らわすために眠りました。

お風呂も入れませんので体中なんとなく気持ち悪く感じました。

確か体育館に避難して次の日だったと思います。

近所にお店があると聞きましたので母と買い物に出かけました。少しのお菓子とカップラーメンを買う事ができました。

母が下着を買うためにある呉服店にも入りましたが、ストーブにあたらせてくれて少しのお茶とお菓子をいただく事ができました。

「今はここは安全だけど、いつ自分たちもあなたたちと同じになるかわからないから」とおばあさんが暖かくもてなしてくれました。

とても不安な時だったのでそれが自分たちにはすごくうれしい出来事でした。

いつかもっと落ち着いたら、お礼をしに来ようと思いました。

あれだけ大勢の人がいればいろいろな情報も入ります。

携帯電話からネットを見て情報を得た人もいたのでしょう。

それにテレビも見る事ができました。

次の日かその次の日か、どのような経緯でかは忘れてしまいましたが、“数週間”は家に帰れないかもしれないという事がわかってきました。

そこで心配になったのがねこの事です。

一度もっと詳しい情報を聞くために富岡町役場の機能も果たしていた川内村に行く事にしました。

そのころはすでにガソリンは貴重なものになりつつありましたが仕方ありません。

川内村に行くとちょうど警察の方がいましたので現状を聞きました。

しばらくは町には入れないという事でした。

ねこを置いてきたからなんとか入りたいとお願いしても頑として無理だと言い張られてしまいました。

まだ警戒区域には指定はされてはいませんでしたが、安全を考えてというのがその理由だったように思いました。

いったい置いてきたねこ達はどうなってしまうのでしょうか?

体育館に戻った時、母と相談し僕だけ徒歩ででもいいから数日歩く事になってもいいから警察がいない裏道を通って家に帰ってみると提案しましたが何かあったら駄目だからと許してもらえませんでした。

何度も行くと言い張りましたが絶対に許してもらえませんでした。

母はバカが頭に付くくらい正直で真面目な人なので仕方ありません。それがいい時もあるのですが、昔からこういう時は小心者になってしまいます。

とにかく、もはや富岡町に入ることは叶わなくなってしまいました。

ねこも連れてくることもできなくなってしまいました。

つづく・・・

 

大越町のみなさんがもしこのブログを読む事がありましたら・・・

大変お世話になりました。

みなさんのご支援心より感謝いたします。

ご恩は忘れません。

猫之介

投稿者: 猫之介

富岡町の住人です。原発事故により避難生活を余儀なくされています。かつての愛猫のしま次郎を探しています。どうか無事でいますように・・・

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